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みんな違うからいろいろあるけど、だからこそ、わくわくする。 一緒に化学反応、起こしましょ?
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 子どものカテゴリに入れたのは、このことを考えるきっかけを下さった方が子どもとの係わりをしておられるかただからというだけで、全般に当てはめられるところがあるなあと思っています。

 信頼関係のない双方の間で、「指導」は有効だろうか?指導とは一方的に押し付けるものではないはず。それでは、命令になってしまう。しかし信頼関係のない間では、それは往々に命令になっているものだ。守らなければ罰則がある。私は命ずる側に都合がよい反応をすれば褒美を与え、都合が悪い反応をすれば罰を与えるという方法が嫌いだ。第一馬鹿にしてないか?その場だけ、自分の都合がいいように相手を動かせばそれでいいのか?短絡思考にもほどがあるな。自発的にそうしようと思わなければ、その場取り繕うだけでは、無意味じゃないか。そのために「厳罰化するんです」なんてさっむいことは言うなよ?

 私が佐藤さんを知ったのは、FTCシェルターの研修で。彼は都留市の学芸員さんだ。子と接するときの彼の姿勢で実に印象深く、心から納得したことがある。「子どもを、指導しない」。彼は子どもを小さな人として、尊重しているのだ。だから子どもが何かまずいことをしたときも、決して叱り飛ばしたり、指図したりせずに、「提案」するそうだ。この姿勢の裏に自分が子どもに降りていくとか、子どもを引き上げるといった部分が見えたら私は心を動かさない。彼は、もともと子どもより大人が上位にいるといった発想がないのだ。同じ人間という部分で対等なのだ。ただ、先に生きている分だけ知恵も経験もあるから、それを提示したり方法を提案する。

 子どもに限らず、人間と係わると決めたなら、一時的では意味がないと覚悟すべきだ。継続したかかわりの中でしか、信頼関係を築くことも、感情を育むことも、理解を深めることも期待できない。全身が感電するほどの素敵なことを一言言うより、毎日「おはよう」とか、「今日は顔色いいね」とか、「髪型変えたね。似合ってる」とかなんでもないことを言う方が意味がある。自分への関心が向いていると信じられて、安心できて始めて、自分を信じて一歩を踏み出せるのだと思う。

 即効性を期待するのは、人間関係においては間違いだと断言したい。人間は、心があるのだ。信頼関係がないのに頭ごなしに指導されて、その指導内容に納得できるだろうか?子どもだから、保護を受けているから、病気だから、障がいがあるからなどの理由で、相手を軽く見てはいないだろうか?

 その心栄えは、相手に伝わっています。心のない指導なんか拒否します。まずはあなたが心の殻を脱いでください。指導に頼らなければ人と係われないのなら、まずは自分はどんな人間なのかと自己覚知することからはじめてください。

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